キシナウ凱旋門
Triumphal Arch, Chișinău

キシナウ凱旋門は、モルドバの首都キシナウの町の真ん中、生誕大聖堂のとなりにある石の記念碑です。大国民議会広場をはさんで、政府庁舎と向かい合っています。1828年から1829年の露土戦争で、ロシア帝国がオスマン帝国に勝ったことをお祝いして、1840年に建てられました。
3D地球儀で見る →ひと目でわかる
- 国
- モルドバ
- 完成
- 1840年
- 高さ
- 13 m
- 種類
- 記念碑
すぐわかる答え
キシナウ凱旋門はどこにありますか?
モルドバにあります。
キシナウ凱旋門はいつ完成しましたか?
1840年に完成しました。
キシナウ凱旋門の高さはどのくらいですか?
高さは約13 mです。
露土戦争の勝利を記念して1840年に建てられた石の凱旋門で、政府庁舎前の大聖堂公園の入口に立ち、上層に大きな鐘があります。
門は四角い形で2段になっていて、高さは約13メートルです。コリント式の柱頭のある4本の柱がささえ、上の段は古典的な様式でかざられています。大聖堂、その鐘楼、広場、政府庁舎がならぶ建物の集まりの、左右対称の軸の上に立っています。長いあいだ、中には巨大な鐘がつるされていて、正面の機械じかけの時計は夜にライトアップされます。
だれが、どうして建てたの?
門は建築家ルカ・ザウシェヴィチが設計し、当時キシナウのまわりの地域だったベッサラビアの総督のよびかけで、1840年に建てられました。目的は、ロシアのオスマン帝国への勝利を記念することでした。かざりや柱頭は陶器で作られていて、記念碑は1973年に完全に修復されました。
巨大な鐘
鐘は、この門でいちばんよく知られたお話です。ロシア軍がオスマン帝国からうばった大砲の銅で鋳造されました。はじめは大聖堂の鐘楼のために作られましたが、大きすぎることがわかったので、門の2段目にそれをつるすように、わざと設計されました。鐘の重さはほぼ6,400キログラムでした。門が建てられてから2011年まで、鐘は記念碑の中にありました。
時計と記念の板
最初の時計は1842年に、オデッサから運ばれてきました。7年後、強い風で文字ばんがもぎとられ、機械は1881年まで動き、そのあとオーストリアで新しい時計が買われました。その時計は、1941年の爆撃でこわれるまで、修理なしで動きました。1945年には、戦争の「ソビエト連邦英雄」たちの名前を記した板がかべにつけられ、独立後の1991年に取りはずされました。今、光る時計は時間をしめしますが、鐘を鳴らしません。
おもしろ豆知識
- 鐘は、うばったオスマン帝国の大砲の銅をとかして作られました。
- 鐘は大聖堂の塔に入らないほど大きかったので、門はそれに合わせて設計されました。
- 最初の時計は、1842年にオデッサから来ました。
- 記念碑と時計の機械は、1973年に完全に修復されました。
地球儀では
このモデルは、鐘と時計がある上の段を持つ、石の門を表しています。
クイズタイム
キシナウ凱旋門と国民の館 (ブカレスト)、高いのはどっち?
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答え:国民の館 (ブカレスト)(13 m 対 84 m) 国民の館 (ブカレスト) →
地球儀で近くにあるもの
参考資料
更新: 2026-10-14





