パナマ・ビエホ
Panamá Viejo

パナマ・ビエホは「古いパナマ」という意味で、太平洋の海岸にあるパナマ市の最初の町の遺跡です。今の首都の郊外にあります。スペインからの入植者が1519年8月15日に作り、太平洋岸で最初のヨーロッパ人の常設の入植地でした。
3D地球儀で見る →ひと目でわかる
- 国
- パナマ
- 完成
- 1519年
すぐわかる答え
パナマ・ビエホはどこにありますか?
パナマにあります。
パナマ・ビエホはいつ完成しましたか?
1519年に完成しました。
太平洋岸で最初のヨーロッパ人都市の遺跡で、1671年に海賊ヘンリー・モーガンに破壊された後も大聖堂の鐘楼が残ります。
町は、ペルーへ向かう探検の基地として、またスペインへ船で送る金や銀を集める場所として豊かになりました。1671年、ウェールズ出身の私掠船長ヘンリー・モーガンがせめてきて、町をこわしました。今、遺跡はパナマ市の歴史地区とともに、1997年からユネスコの世界遺産に登録されています。大聖堂の塔は今も立っています。
町はどうやって始まったの?
入植地は、ペドロ・アリアス・ダビラが約100人の入植者とともに作りました。それより前の2つの町、サンタ・マリア・ラ・アンティグア・デル・ダリエンとアクラにかわるものでした。1521年、王の命令で正式な町になり、スペインのカール5世が紋章をあたえました。まもなくペルーへの探検の出発点となり、金や銀をスペインへ送るおもな基地になりました。1520年から100年のあいだ、イタリアのジェノバの商人たちが、ここの貿易の多くをにぎっていました。
こうげきと遺跡
1671年、ウェールズ出身の私掠船長ヘンリー・モーガンが、もとの町をこわしました。人びとはのちに別の場所に新しいパナマ市を作り、古い町はがれきのまま残されました。残っているのは、くずれたかべの広がりと、今も立っている背の高い石の大聖堂の塔です。見学する人は遺跡のあいだを歩いて、かつてここにあったにぎやかな港町を思いうかべることができます。遺跡と新しい歴史地区は、いっしょにユネスコに守られています。
おもしろ豆知識
- 太平洋岸で最初のヨーロッパ人の常設の入植地でした。
- ジェノバの商人たちが、約100年のあいだ貿易の多くを動かしていました。
- 大聖堂の塔は、1671年のこうげきにもたえて残りました。
地球儀では
このモデルは、大聖堂の塔が今も立っている、太平洋の古い町の遺跡を表しています。くずれたかべの中に1本だけ立つ背の高い石の塔をさがしてみましょう。
クイズタイム
パナマ・ビエホとパナマ運河、古いのはどっち?
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答え:パナマ・ビエホ(1519年 対 1914年) パナマ運河 →
地球儀で近くにあるもの
参考資料
更新: 2026-10-14





