ペルセポリス
Persepolis

ペルセポリスは、紀元前550年ごろから330年まで続いたアケメネス朝ペルシャ帝国の、儀式のための都でした。遺跡は、イランのファールス州にあるマルヴダシュト平原の、高くした石の台の上にあり、まわりをザグロス山脈がとりまいています。いちばん古い遺構は紀元前515年ごろのものです。今のペルシャ語では「タフテ・ジャムシード(ジャムシードの玉座)」と呼ばれています。
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- 国
- イラン
- 完成
- c. 518 BC
- 種類
- 古代遺跡
すぐわかる答え
ペルセポリスはどこにありますか?
イランにあります。
アケメネス朝ペルシアの儀式の都で、精巧なレリーフと柱の遺跡が残ります。
ここには、立派な大階段、高い柱が並ぶ5つの宮殿やホール、そして王に贈り物を持ってくる人びとをほったレリーフがありました。名前はギリシャ語から来ていて「ペルシャ人の都市」という意味です。古代のペルシャ人は「パールサ」と呼んでいました。ユネスコは1979年から世界遺産に登録しています。
ペルセポリスを建てる
ダレイオス1世は、政治の中心であり、おもてなしや祭りの中心となるきらびやかな場所としてペルセポリスをつくりました。彼はアパダーナ(謁見の間)、評議の間、おもな宝物庫をつくらせ、息子のクセルクセス1世がそれを完成させました。その後の王たちも、帝国がほろびるまで建物を加え続けました。
おもな建築材料は灰色の石灰岩でした。働き手には銀や食べ物で給料がはらわれ、粘土板には、カッパドキアやリュディアなど、いろいろな国から来た職人の名前が記されています。
儀式のための場所
ペルセポリスは、帝国の中で特に大きな都市のひとつではありませんでした。そのかわり、儀式に使われた豪華な場所だったようで、一年のうち一部の時期だけ人がいたと考えられています。多くの学者は、おもに春分の日のペルシャの新年「ノウルーズ」のお祝いに使われたと考えています。ノウルーズは今もイランでお祝いされています。
階段のレリーフには、帝国中から来た貴族や人びとが贈り物を持ってくるようすがほられています。
火事と再発見
紀元前330年、アレクサンドロス大王の軍がペルセポリスを手に入れ、まもなく宮殿が焼けました。ある記録では、ペルシャ人がアテネをこわしたしかえしに、アレクサンドロスがわざと火をつけたといい、別の記録では、宴会とひとりの女性のせいだとしています。
1600年代の初めから探検家たちが遺跡を調べると、古代ペルシャ語、エラム語、バビロニア語の3つのことばで書かれた碑文が、19世紀の初めに学者たちがついに楔形文字を読み解く手がかりになりました。
おもしろ豆知識
- 紀元前330年、アレクサンドロス大王によって焼かれました。
- ペルシャ語の名前「タフテ・ジャムシード」は「ジャムシードの玉座」という意味ですが、ジャムシードがこの場所と関係があったという証拠はありません。
- 城壁にかこまれた台の上には、5つの宮殿やホールが立っていました。
- ここで見つかった3つのことばの王の碑文が、古代の楔形文字を読み解くのに役立ちました。
- 西暦311年、ササン朝の王子はこの場所を「サド・ストゥーン(100本の柱)」と呼びました。
地球儀では
模型では、高い柱と大階段のある石の台が見られます。ずらりと並ぶ柱の列をさがしてみましょう。
地球儀で近くにあるもの
参考資料
更新: 2026-10-14





