アクスムのオベリスク
Obelisk of Aksum

アクスムのオベリスクは、エチオピアのアクスムの町にある、高さ24mの石の柱です。「フォノライト」という火山岩のひとつのかたまりからほられていて、重さは約160トンです。古代エチオピアの文明「アクスム王国」の人びとが4世紀につくったもので、正しくは「石碑(ステラ)」と呼ばれます。根もとには2つのにせの扉がほられ、どの面にも窓のようなかざりがあります。
3D地球儀で見る →ひと目でわかる
- 国
- エチオピア
- 完成
- 350年
- 高さ
- 24 m
- 種類
- 記念碑
すぐわかる答え
アクスムのオベリスクはどこにありますか?
エチオピアにあります。
アクスムのオベリスクはいつ完成しましたか?
350年に完成しました。
アクスムのオベリスクの高さはどのくらいですか?
高さは約24 mです。
多層建築を彫り込んだアクスム王国の花崗岩の石碑で、2005年にローマから返還されました。
この石碑は長い旅で有名です。1937年、イタリア軍が戦利品としてローマへ持ち去り、70年近くそこに立っていたあと、ふるさとへもどりました。2005年にエチオピアに返され、もとの場所に立て直されて、2008年9月4日にお披露目されました。
王のお墓のしるし
アクスムには、いくつかの石碑の野原に何百もの石碑があります。地下の埋葬室のしるしだったと考えられています。いちばん大きなものは王のお墓のもので、何階分ものにせの窓や扉でかざられ、位の低い貴族のものはもっと小さくて質素でした。立派な石碑のとなりには、今もあらけずりの初期のものが見られます。いちばん高い「大石碑」は約33mあり、立てられたあとまもなくたおれたと考えられています。地震や戦争でも石碑はたおれ、19世紀には「エザナ王の石碑」だけが立っていました。
ローマへの長い旅と帰り道
1937年、イタリアがエチオピアの占領を終えたとき、オベリスクは3つに切られ、トラックでマッサワの港まで運ばれ、船でナポリへ送られて、ローマで組み立て直されました。1947年、イタリアは返すことに合意しましたが、その仕事はむずかしく、時間がかかりました。まず、アクスム空港の滑走路をのばさなければなりませんでした。2005年4月、部品は巨大な貨物機アントノフAn-124でふるさとへ飛び、返すための費用としてイタリアは約770万ドルをはらいました。
ふたたび立つ
立て直しは2008年6月、ユネスコが選んだチームによって始まりました。2002年にローマでオベリスクに雷が落ちて被害を受けていたので、技術者たちは、じょうぶなプラスチックの素材「アラミド繊維」の棒8本を使って、3つの部分をつなぎとめました。こうすることで石碑は地震にもっと強くなり、雷を引きよせたりさびたりする鋼鉄も使わずにすみました。
おもしろ豆知識
- オベリスクの高さは24m、重さは約160トンです。
- 1937年からローマに立っていて、2005年にエチオピアにもどってきました。
- 部品は、巨大な貨物機アントノフAn-124でふるさとへ運ばれました。
- アクスムの大石碑は高さ約33mありましたが、立てられたあとまもなくたおれたと考えられています。
地球儀では
模型では、何階建てものビルのようにほられた、花崗岩のような高い石碑が見られます。根もとのにせの扉をさがしてみましょう。
クイズタイム
アクスムのオベリスクとファジル・ゲビ、高いのはどっち?
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答え:ファジル・ゲビ(24 m 対 32 m) ファジル・ゲビ →
地球儀で近くにあるもの
参考資料
更新: 2026-10-14





