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ポート・アーサー史跡

Port Arthur Historic Site

ポート・アーサー史跡
写真: Martybugs at en.wikipedia, CC BY-SA 3.0 · 出典

1830~1877年に運営された英国の流刑地で、製粉所を改造した4階建て砂岩の監獄の屋根なき廃墟がメイソン湾に面しています。世界遺産「オーストラリアの囚人遺跡群」の一部です。

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ひと目でわかる

国
オーストラリア
完成
1830年

すぐわかる答え

ポート・アーサー史跡はどこにありますか?

オーストラリアにあります。

ポート・アーサー史跡はいつ完成しましたか?

1830年に完成しました。

ポート・アーサー史跡は、オーストラリアのタスマニア州、タスマン半島にある歴史的な場所で、ホバートから南東へ約97キロメートルのところにあります。ここは流刑地で、イギリスの囚人たちがふるさとから遠くはなれて送られた場所でした。1830年に木材の切り出し場として始まり、1833年から1877年までは、オーストラリアに来てからまた罪をおかした囚人たちが入れられていました。

今では、その砂岩の遺跡、庭、港が、毎年25万人以上がおとずれる、オーストラリアでとくに人気のある遺産の場所のひとつになっています。囚人の労働が植民地作りにどう役立ったかをしめす11の場所のグループ、ユネスコの世界遺産「オーストラリアの囚人遺跡群」の一部です。

囚人としてのくらし

ここでは、きつい労働ときびしい決まりで、囚人たちをばっし、心を入れかえさせようとしました。「ペニテンシャリー(監獄)」は4階建ての建物で、もとは製粉所と穀物倉庫として始まり、のちに牢屋に変えられました。もうひとつの牢屋「セパレート・プリズン」は、「パノプティコン(一望監視)」の考えをもとに1850年代に作られ、囚人たちをだまらせてひとりぼっちにしておいたので、多くの囚人が心と体をいためました。

死者の島とポイント・ピュア

「死者の島」は港にある小さな島で、約1,646人がほうむられましたが、しるしのある墓は、職員や兵士の180だけです。「ポイント・ピュア」は少年のためのべつの牢屋で、9歳の子もいて、はたらいたり職業の技術を学んだりしていました。

今

牢屋は1877年に閉じられました。建物が廃墟になったあと、見学する人が来るようになり、1979年にはこの場所を守るためのお金が用意されました。1987年からは管理の団体が手入れをしています。

おもしろ豆知識

  • 刑務所の建物は、もともと製粉所と穀物倉庫でした。
  • ポート・アーサーは、1830年に木を切り出す場所として始まりました。
  • 死者の島には記録された1,646の墓がありますが、しるしがあるのは180だけです。
  • ポイント・ピュアは少年だけの牢屋で、わずか9歳の子もいました。
  • 世界遺産「オーストラリアの囚人遺跡群」を作る11の場所のひとつです。

地球儀では

このモデルは、屋根のない4階建ての砂岩の監獄と、メイソン・コーブに面した集落を表しています。

クイズタイム

ポート・アーサー史跡とハアモンガ・ア・マウイ、古いのはどっち?

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答え:ハアモンガ・ア・マウイ(1830年 対 1200年) ハアモンガ・ア・マウイ →

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参考資料

更新: 2026-10-14