サン・スーシ宮殿
Sans-Souci Palace

サン・スーシ宮殿は、ハイチ王アンリ1世ことアンリ・クリストフのおもな王宮でした。その遺跡はハイチ北部のミロにあり、山の上のとりで「シタデル・ラフェリエール」から約5キロメートルのところにあります。1810年から1813年にかけて建てられ、ハイチ革命でフランスの支配から国が自由になったあと、ハイチで建てられた最初の大きな建物のひとつでした。
3D地球儀で見る →ひと目でわかる
- 国
- ハイチ
- 完成
- 1813年
- 種類
- 宮殿
すぐわかる答え
サン・スーシ宮殿はどこにありますか?
ハイチにあります。
サン・スーシ宮殿はいつ完成しましたか?
1813年に完成しました。
アンリ・クリストフ王の宮殿跡で、1842年の地震で崩れた後も壮大な階段と外壁が残っています。
宮殿とシタデルは、いっしょにハイチのシンボルであり、世界の自由のシンボルでもあり、1982年にユネスコの世界遺産になりました。今、宮殿はからっぽの遺跡ですが、大きな階段と高いかべが、かつてどれほど立派だったかを今もしめしています。
新しい王国の宮殿
革命のあと、クリストフは王としてハイチ北部を治めました。サン・スーシは、彼が建てるよう命じた9つの宮殿、15のシャトー(館)、たくさんのとりでの中でいちばん大切なものでした。王、マリー=ルイーズ王妃、子どもたちは、相談役たちとここでくらしました。ぜいたくなごちそうやダンス、大きな庭、人工の泉、水を引くしくみがありました。たずねてきたアメリカ人の医者は、ここが西インド諸島でもっとも立派な建物のひとつだという評判だったと話しました。
宮殿はどうなったの?
名前はフランス語で「のんきな、心配のない」という意味で、クリストフが1803年に、のちに宮殿が建てられた場所の近くで殺させた革命の指導者ジャン=バティスト・サン・スーシと同じ名前です。1842年のはげしい地震で宮殿の多くがこわれ、近くの町カパイシャンも大きな被害を受け、宮殿は二度と建て直されませんでした。クリストフのきびしい支配のもとで、工事中に何人の作業員が亡くなったのかはだれにもわかりません。
おもしろ豆知識
- 名前はフランス語で「のんきな、心配のない」という意味です。
- 1810年から1813年にかけて建てられました。
- 1842年の地震で遺跡になり、二度と建て直されませんでした。
地球儀では
このおもちゃのモデルは、大きな階段と残ったかべのある、宮殿の遺跡を表しています。
クイズタイム
サン・スーシ宮殿とオサマ砦、古いのはどっち?
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答え:オサマ砦(1813年 対 1508年) オサマ砦 →
地球儀で近くにあるもの
参考資料
更新: 2026-10-14





