タイタニック号の残骸
Titanic wreck

1912年4月15日、処女航海中に氷山に衝突して沈没し、約1,500人が亡くなった客船。二つに割れた残骸がニューファンドランド南東の水深約3,800 mにあり(1985年発見)、船首部は泥に突っ込んだまま直立している。
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- 種類
- 沈没船
タイタニック号はイギリスの客船で、運航を始めたとき、海にうかぶ船の中でいちばん大きな船でした。ホワイト・スター・ライン社のために、ベルファストのハーランド・アンド・ウルフ社が建造し、長さは約269メートルありました。サウサンプトンからニューヨークへ向かう最初の航海で氷山にぶつかり、1912年4月15日の明け方にしずみました。乗っていた約2,200人のうち、約1,500人が亡くなりました。
73年間、残骸がどこにしずんでいるのか、だれも正確には知りませんでした。そして1985年9月1日、フランスとアメリカのチームが、カナダのニューファンドランド島から南南東へおよそ600キロメートル、北大西洋の深さ約3,800メートルの海の底で残骸を見つけました。残骸は今、守られた水中の文化遺産で、亡くなった人たちのお墓でもあります。
何が起きたの?
タイタニック号は1912年4月10日に出航しました。4月14日の夜、北大西洋で氷山にぶつかって水が入り始め、次の日の明け方にしずみました。救命ボートは20そうしかなく、乗れるのは約1,178人、つまり乗っていた人のおよそ半分だけでした。これが、たくさんの人が亡くなった大きな理由です。それからずっと、タイタニック号の物語は本や映画、博物館で伝えられていて、その名前は今も世界じゅうで知られています。
残骸はどうやって見つかったの?
捜索は、ジャン=ルイ・ミシェルがひきいるフランスの海洋研究所IFREMERと、ロバート・バラードがひきいるアメリカのウッズホール海洋研究所の共同作業でした。まずフランスの船が、ソナーでさがす範囲のほとんどを調べました。そのあと、アメリカの船ノール号が、できたばかりの水中カメラそり「アルゴ」を引っぱりました。チームは船体そのものをさがすかわりに、海流でまき散らされた残骸のかけらの道をたどりました。1985年9月1日の午前1時すぎ、画面にボイラーがうつり、船が見つかったのです。
科学者たちが見つけたこと
船はしずむときに2つにわれました。船首(前の部分)はわりと形が残ったまま海底に着き、どろの中にまっすぐささっていますが、船尾は約600メートルはなれたところに、ひどくつぶれてしずんでいます。そのまわりの海底には、何千もの品物が散らばっています。船の名前からハロモナス・タイタニカエと名づけられた種類などの、さびを食べる細菌が、つららのような「ラスティクル」を作り、鉄を少しずつ食べています。科学者たちは、残骸はこれからもくずれていくと考えていて、こわれやすすぎて引き上げることはできません。
おもしろ豆知識
- 残骸が見つかったのは1985年で、船がしずんでから73年後でした。
- チームは、船体をさがすのではなく、散らばった残骸のかけらの道をたどってタイタニック号を見つけました。
- 残骸で見つかった、さびを食べる細菌の一種は「ハロモナス・タイタニカエ」と名づけられています。
- 船首と船尾は、海底で約600メートルはなれています。
- タイタニック号の救命ボートには、乗っていた人の半分くらいしか乗れませんでした。
地球儀では
このモデルは、ニューファンドランド島の南東、深さ約3,800メートルにある、2つにわれたタイタニック号の残骸を表しています。どろにつきささってまっすぐ立っている船首をさがしてみましょう。
クイズタイム
タイタニック号の残骸とメアリー・ローズ号(ヘンリー8世の軍艦)、古いのはどっち?
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答え:メアリー・ローズ号(ヘンリー8世の軍艦)(1912年 対 1545年) メアリー・ローズ号(ヘンリー8世の軍艦) →
地球儀で近くにあるもの
参考資料
- ウィキペディアでもっと読む
- Wreck of the Titanic — Wikipedia
- Titanic — Wikipedia
- 1985 discovery of RMS Titanic — Woods Hole Oceanographic Institution
更新: 2026-10-13





