アブ・シンベル神殿
Abu Simbel Temples

アブ・シンベル神殿は、エジプト南部、スーダンとの国境近くのナセル湖のほとりにある、砂岩のがけを直接ほって作った2つの巨大な神殿です。3,200年以上前に、ファラオ(王)のラムセス2世のために作られました。大神殿はエジプトの大切な神々とラムセス自身をたたえ、小神殿は女神ハトホルとラムセスの王妃ネフェルタリをたたえています。
3D地球儀で見る →ひと目でわかる
- 国
- エジプト
- 完成
- 紀元前1244年
- 高さ
- 20 m
- 種類
- 宗教建築
すぐわかる答え
アブ・シンベル神殿はどこにありますか?
エジプトにあります。
アブ・シンベル神殿はいつ完成しましたか?
紀元前1244年に完成しました。
ラムセス2世の巨大な座像4体が入口を守る岩窟神殿で、ダム建設時に丸ごと移築されました。
大神殿の入り口は、高さ約20メートルの4体の巨大なラムセス2世の座像が守っています。1960年代、ナイル川に新しいダムができて神殿が水にしずみそうになったので、国際的なチームが神殿を1,000個以上のブロックに切り分け、高い場所に組み立て直しました。今ではユネスコの世界遺産「ヌビアの遺跡群」の一部です。
歴史
工事は紀元前1264年ごろに始まり、約20年かかりました。神殿があったのは、エジプトが治めていた南の土地ヌビアで、金の豊かな場所だったので、神殿はエジプトの力を見せつける役目もありました。大神殿の中の彫刻は、カデシュの戦いでのラムセスをたたえています。何百年もたつうちに、ふきよせる砂が大神殿の多くをうめてしまいました。1813年、スイスの旅行家ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトがそのてっぺんを見つけ、数年後にイタリアの探検家ジョヴァンニ・ベルツォーニが砂をほって中に入りました。ある話では、探検家をここに案内した地元の少年の名前が、この場所の名前になったといわれていますが、本当かどうかはだれにもわかりません。
大移動
エジプトがアスワン・ハイ・ダムを作ったとき、そのうしろにできるナセル湖が神殿を水にしずめてしまうところでした。ユネスコはヌビアの遺跡を救う世界的なキャンペーンを行い、スウェーデンの技術会社が神殿をいくつにも切り分けることを提案しました。作業員たちはやわらかい砂岩をおもに手でのこぎりで切り、すべてのブロックに注意深く番号をつけました。全部で1,036個です。1964年から1968年にかけて神殿は持ち上げられ、65メートル高く、川から約200メートルはなれた場所に、巨大なコンクリートのドームの上に作った丘の中で組み立て直されました。神殿の向きも、前とまったく同じにしました。
太陽がおとずれる日
大神殿は、2月22日ごろと10月22日ごろに、のぼる朝日が入り口からまっすぐさしこんで、いちばん奥の部屋までとどくように向きがそろえられています。その光は、奥のかべにならぶ神々と王の像をてらします。暗いままなのは、死者の世界と結びついた神プタハの像1体だけです。ほられてから3,000年以上たった今も、この日には大勢の人が集まって、太陽の光が神殿の奥までとどくのを見守ります。
おもしろ豆知識
- 1964年から1968年にかけて、神殿はブロックに切り分けられ、高い場所へ移されました。
- 4体の巨大な像のうち1体は、ずっと昔の地震で頭と上半身をなくし、こわれたかけらが今も足もとに落ちています。
- 巨大な像の脚のそばにはラムセスの家族の小さな像が立っていますが、どれもファラオのひざより高くありません。
- 神殿は動かすために、1,036個のブロックに切り分けられました。
- 神殿は65メートル高いところへうつされ、それでも太陽の光が中にさしこむように、同じ向きに組み立てられました。
- ずっと昔、ギリシャの兵士たちが巨大な像の脚に自分の名前をほりつけました。
地球儀では
このモデルは、4体のラムセス2世の巨大な座像がならぶ大神殿のがけの正面を表しています。像のあいだにある、岩の奥深くへ続く小さな入り口をさがしてみましょう。
クイズタイム
アブ・シンベル神殿とハトシェプスト女王葬祭殿、古いのはどっち?
答えを見る
答え:ハトシェプスト女王葬祭殿(紀元前1244年 対 紀元前1470年) ハトシェプスト女王葬祭殿 →
地球儀で近くにあるもの
参考資料
更新: 2026-10-13





