My Earth Toy(マイ・アース・トイ)

王家の谷

Valley of the Kings

王家の谷
写真: Peter J. Bubenik, CC BY-SA 2.0 · 出典

王家の谷は、エジプトのルクソールから川をはさんだナイル川の西岸にある、乾いた谷です。第18王朝から第20王朝までの500年近くのあいだ、新王国時代のファラオや力のある貴族たちが、岩の奥深くまでほったお墓に葬られました。今は65のお墓や部屋が知られていて、かんたんな穴から、ラメセス2世の息子たちのための120以上の部屋があるKV5までさまざまです。

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ひと目でわかる

国
エジプト
完成
c. 1539–1075 BC
種類
古代遺跡

すぐわかる答え

王家の谷はどこにありますか?

エジプトにあります。

新王国時代のファラオの岩窟墓60以上が集まる谷で、ツタンカーメンの墓が発見されました。

お墓の壁にはエジプト神話の場面がえがかれていて、当時の人びとがあの世をどのように想像していたかがわかります。ほとんどすべてのお墓は古代のうちに開けられ、ぬすまれてしまいましたが、それでもファラオたちがどれほどゆたかで力をもっていたかがよくわかります。この谷は、1922年にツタンカーメンのお墓が見つかって世界的に有名になり、1979年からユネスコの世界遺産になっています。

なぜここに?お墓はどうほられた?

谷は、3,500万年前から5,600万年前にかけてたまった、厚さ1,000フィート以上の石灰岩などの堆積岩の上にあります。のちに降り続いた雨が、台地をけずって谷をつくりました。岩は場所によってちがい、きめこまかいところもあれば、あらくくずれやすいところもあって、建てた人たちは出会った石に合わせて、お墓の形を変えることもありました。谷の上には「アル・クルン」というピラミッド形の峰がそびえていて、昔のピラミッドを思わせたのかもしれません。また、人里はなれた場所なので、特別なお墓の警察が谷を守りやすかったのです。

ふつうのお墓には、長いななめの通路があり、いくつかの広間を通って下の埋葬室へと続いています。これは、太陽神が地下の世界へ入っていく旅をまねたものかもしれません。初めのころのお墓は通路が急な角度で曲がっていて、あとのお墓はまっすぐ続いています。

つくった人、見つけた人

お墓は、デイル・エル=メディーナの村に住んでいた働き手たちがほり、絵をえがきました。彼らの毎日のくらしは記録からよくわかっていて、「トリノ・ストライキ・パピルス」には、歴史上初めてかもしれない働き手のストライキのことも書かれています。古代にも見学者がやって来ていて、ギリシャ語やラテン語のらくがきが、おもにKV9のお墓の壁で2,100以上見つかっています。

1800年代には、ジョヴァンニ・ベルツォーニのような探検家がたくさんのお墓を見つけました。1912年には、アメリカ人のセオドア・デイヴィスが、谷はもう調べつくされただろうと書いたほどです。その10年後の1922年11月、ハワード・カーターとカーナヴォン卿がツタンカーメンのお墓を見つけ、それがまちがいだったことを証明しました。

王さまだけじゃない

名前とはちがって、谷には王に気に入られた貴族や、ファラオの妻や子どものお墓もあり、本当に王が葬られていたお墓は約20だけです。ほかの場所に葬られた王や、まだ見つかっていない王もいます。考古学者は今も調査を続けていて、完全に記録されたお墓はまだ11だけです。めったにないはげしい嵐による鉄砲水が、今でも開いているお墓にがれきを流しこむので、守るのはたいへんです。

おもしろ豆知識

  • 1922年、ハワード・カーターがここでツタンカーメンの墓を発見しました。
  • お墓の番号は、「王家の谷(Kings' Valley)」を短くした「KV」で始まります。
  • 谷のお墓のうち、本当に王が葬られていたのは約20だけです。
  • 谷のお墓はわざとかくされていて、「メジャイ」というお墓の警察があたりを守っていました。
  • 谷で古代の観光客が残したらくがきのうち、年代がわかるいちばん古いものは紀元前278年のものです。

地球儀では

模型では、がけにお墓の入口がほられた、岩だらけの砂漠の谷が見られます。岩にある入口をさがしてみましょう。

地球儀で近くにあるもの

参考資料

更新: 2026-10-14