アーグラ城塞
Agra Fort

アーグラ城塞は「アーグラの赤い城」ともよばれ、インドのウッタル・プラデーシュ州アーグラにある、巨大な歴史的なとりでです。ムガル帝国の皇帝アクバルが、バーダルガルとよばれた古いレンガのとりでがあった場所に、1565年から1573年にかけて赤い砂岩で建て直しました。半円形をしていて、まっすぐな辺がヤムナー川に面し、タージ・マハルから北西へ約2.5キロメートルのところにあります。
3D地球儀で見る →ひと目でわかる
- 国
- インド
- 完成
- 1573年
- 種類
- 要塞
すぐわかる答え
アーグラ城塞はどこにありますか?
インドにあります。
アーグラ城塞はいつ完成しましたか?
1573年に完成しました。
ムガル皇帝の居城だった赤砂岩の城塞で、白大理石の宮殿からタージ・マハルが望めます。
とりでは、都がデリーへうつされた1638年まで、ムガル帝国の支配者たちのおもな住まいでした。中で見られるものの多くは、アクバルの孫シャー・ジャハーンが1628年より後につけ加えた、白い大理石の宮殿やモスクです。1983年にユネスコの世界遺産になりました。1803年にイギリスがうばう前、最後にここを持っていたインドの支配者はマラーター族でした。
ムガル帝国より前
このとりでは、ムガル帝国よりも古いものです。アーグラのとりでについて書かれたいちばん古い記録は、1068年から1070年のあいだにあった襲撃についてのもので、あるペルシャの詩人はとりでを、峰のような城壁を持つ山にたとえました。のちにデリーのスルタン、シカンダル・ローディーが都をアーグラにうつしてとりでを整え、1517年にそこで亡くなりました。1526年にムガル帝国がこの地を治めるようになったあと、1530年にフマーユーンがとりでで即位しました。
アクバルの赤いとりで
アクバルは1558年にアーグラを都にしましたが、古いレンガのとりではくずれていました。1565年、彼はとりでを建て直すよう命じ、レンガのしんの外側に、ドールプル地方の赤い砂岩をはりました。8年間、毎日約4,000人の作業員がはたらきました。デリー門、アマル・シング門、ジャハーンギール宮殿など、アクバルが作った部分の一部は今も残っています。
シャー・ジャハーンと牢屋
シャー・ジャハーンは白い大理石が好きでした。とりでの中に、ディーワーネ・アーム(一般謁見の間)、ディーワーネ・ハース(貴賓謁見の間)、ハース・マハル、モーティ・マスジド、ムサンマン・ブルジュをつけ加えました。むすこたちのあらそいのあと、勝ったアウラングゼーブは父をムサンマン・ブルジュに閉じこめ、シャー・ジャハーンは1666年に亡くなるまでそこにいました。伝説によると、彼は最後の年月を、塔からタージ・マハルをながめて過ごしたといわれています。
おもしろ豆知識
- タージ・マハルを建てたシャー・ジャハーンは、晩年をここに閉じ込められ、タージ・マハルを眺めて過ごしました。
- 毎日約4,000人の作業員が、8年かけてとりでを建てました。
- 半円形をしていて、まっすぐな辺がヤムナー川にそっています。
- シャー・ジャハーンはムサンマン・ブルジュに閉じこめられ、伝説ではそこからタージ・マハルをながめていたといわれます。
- とりでの大部分は今もインド陸軍が使っていて、一般の人は入れません。
地球儀では
このモデルは、赤い砂岩のかべと、その中の白い大理石のあずまやを表しています。
クイズタイム
アーグラ城塞とロータス寺院、古いのはどっち?
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答え:アーグラ城塞(1573年 対 1986年) ロータス寺院 →
地球儀で近くにあるもの
参考資料
更新: 2026-10-14





