マサダ
Masada

マサダは、イスラエルのユダヤ砂漠にある岩の台地の上のとりでで、死海を見下ろしています。平らなてっぺんは約550m×270mで、東側はがけが約400mも落ちこんでいるので、自然の登り道は少なく、けわしいのです。ヘロデ大王は、ここを、2つの宮殿、倉庫、貯水槽、浴場のある宮殿兼とりでにつくりかえました。
3D地球儀で見る →ひと目でわかる
- 国
- イスラエル
- 完成
- 紀元前31年
- 種類
- 要塞
すぐわかる答え
マサダはどこにありますか?
イスラエルにあります。
マサダはいつ完成しましたか?
紀元前31年に完成しました。
死海を見下ろす岩山の上のヘロデ王の要塞で、ローマ軍の包囲攻撃用の斜路が今も残っています。
マサダは、第一次ユダヤ・ローマ戦争の終わりの、西暦73年か74年のローマ軍による包囲でいちばんよく知られています。ローマの兵士たちは、城壁まで届く巨大な坂を築きました。ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、守っていた960人が降伏するより死を選んだと書きましたが、歴史家たちは今もこのことを議論しています。ユネスコは2001年にマサダを世界遺産にし、毎年約75万人が訪れます。
ヘロデの山頂の宮殿
ヨセフスによると、ヘロデは反乱が起きたときのかくれ場所として、紀元前37年から31年にかけてとりでを建てました。塔のついた高さ4m、長さ約1,300mの二重の城壁、倉庫、兵舎、武器庫、浴場、そして2つの宮殿を加えました。宮殿のひとつは、北のがけに3段のテラスになって下っています。貯水槽の仕組みには約4万立方mの雨水がたまり、一日分の雨の流れだけで、1,000人以上に2〜3年分の水をまかなえたといわれています。
ローマの坂と議論
西暦66年、ユダヤ人の反乱者のグループ「シカリ派」がとりでを手に入れ、のちにローマの総督ルキウス・フラウィウス・シルウァが第10軍団を連れてきました。ローマ軍は岩のまわりに壁を築き、それから西側に坂をつくりました。地質学者は、114mの坂のほとんどが自然の岩の尾根であることを見つけました。ヨセフスの記録は発掘の結果とぴったりとは合いません。見つかった遺体は最大でも28人分だけなので、いくつかのことは今も議論されています。
考古学者が見つけたもの
1960年代、イガエル・ヤディンが発掘をひきいました。ヘロデの宮殿、食べ物の残りがある倉庫、身を清める儀式の浴場、シナゴーグ、巻物のかけら、そして名前が書かれた土器などが見つかり、その中には「ベン・ヤイル」と読めるものもありました。小さなビザンツ時代の教会から、のちに修道士たちもマサダに住んでいたことがわかります。岩のまわりのローマ軍の陣地や包囲のための工事は、ローマの軍事工学の例としてもっともよく残っているもののひとつで、ユネスコに登録されたおもな理由になりました。
おもしろ豆知識
- マサダのがけは、死海に向かって約400mも落ちこんでいます。
- ローマ軍の包囲用の坂は、2,000年近くたった今も残っています。
- 見学者は「ヘビの道」を歩いて登るか、ロープウェイに乗ることができます。
- 包囲について知られていることのほとんどは、ヨセフスというひとりの作家の記録から来ています。
地球儀では
模型では、がけの上の台地にあるとりでが見られます。西側の坂をさがしてみましょう。
クイズタイム
マサダと嘆きの壁、古いのはどっち?
答えを見る
答え:マサダ(紀元前31年 対 紀元前19年) 嘆きの壁 →
地球儀で近くにあるもの
参考資料
更新: 2026-10-14





