My Earth Toy(マイ・アース・トイ)

マサダ

Masada

マサダ
写真: Godot13, CC BY-SA 4.0 · 出典

マサダは、イスラエルのユダヤ砂漠にある岩の台地の上のとりでで、死海を見下ろしています。平らなてっぺんは約550m×270mで、東側はがけが約400mも落ちこんでいるので、自然の登り道は少なく、けわしいのです。ヘロデ大王は、ここを、2つの宮殿、倉庫、貯水槽、浴場のある宮殿兼とりでにつくりかえました。

3D地球儀で見る →

ひと目でわかる

国
イスラエル
完成
紀元前31年
種類
要塞

すぐわかる答え

マサダはどこにありますか?

イスラエルにあります。

マサダはいつ完成しましたか?

紀元前31年に完成しました。

死海を見下ろす岩山の上のヘロデ王の要塞で、ローマ軍の包囲攻撃用の斜路が今も残っています。

マサダは、第一次ユダヤ・ローマ戦争の終わりの、西暦73年か74年のローマ軍による包囲でいちばんよく知られています。ローマの兵士たちは、城壁まで届く巨大な坂を築きました。ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、守っていた960人が降伏するより死を選んだと書きましたが、歴史家たちは今もこのことを議論しています。ユネスコは2001年にマサダを世界遺産にし、毎年約75万人が訪れます。

ヘロデの山頂の宮殿

ヨセフスによると、ヘロデは反乱が起きたときのかくれ場所として、紀元前37年から31年にかけてとりでを建てました。塔のついた高さ4m、長さ約1,300mの二重の城壁、倉庫、兵舎、武器庫、浴場、そして2つの宮殿を加えました。宮殿のひとつは、北のがけに3段のテラスになって下っています。貯水槽の仕組みには約4万立方mの雨水がたまり、一日分の雨の流れだけで、1,000人以上に2〜3年分の水をまかなえたといわれています。

ローマの坂と議論

西暦66年、ユダヤ人の反乱者のグループ「シカリ派」がとりでを手に入れ、のちにローマの総督ルキウス・フラウィウス・シルウァが第10軍団を連れてきました。ローマ軍は岩のまわりに壁を築き、それから西側に坂をつくりました。地質学者は、114mの坂のほとんどが自然の岩の尾根であることを見つけました。ヨセフスの記録は発掘の結果とぴったりとは合いません。見つかった遺体は最大でも28人分だけなので、いくつかのことは今も議論されています。

考古学者が見つけたもの

1960年代、イガエル・ヤディンが発掘をひきいました。ヘロデの宮殿、食べ物の残りがある倉庫、身を清める儀式の浴場、シナゴーグ、巻物のかけら、そして名前が書かれた土器などが見つかり、その中には「ベン・ヤイル」と読めるものもありました。小さなビザンツ時代の教会から、のちに修道士たちもマサダに住んでいたことがわかります。岩のまわりのローマ軍の陣地や包囲のための工事は、ローマの軍事工学の例としてもっともよく残っているもののひとつで、ユネスコに登録されたおもな理由になりました。

おもしろ豆知識

  • マサダのがけは、死海に向かって約400mも落ちこんでいます。
  • ローマ軍の包囲用の坂は、2,000年近くたった今も残っています。
  • 見学者は「ヘビの道」を歩いて登るか、ロープウェイに乗ることができます。
  • 包囲について知られていることのほとんどは、ヨセフスというひとりの作家の記録から来ています。

地球儀では

模型では、がけの上の台地にあるとりでが見られます。西側の坂をさがしてみましょう。

クイズタイム

マサダと嘆きの壁、古いのはどっち?

答えを見る

答え:マサダ(紀元前31年 対 紀元前19年) 嘆きの壁 →

地球儀クイズで遊ぶ →

地球儀で近くにあるもの

参考資料

更新: 2026-10-14