パルテノン神殿
Parthenon

パルテノン神殿は、ギリシャのアテネを見下ろす岩の丘「アクロポリス」に立つ、古代の大理石の神殿です。知恵といくさの女神で、町の守り神でもあるアテナのために建てられました。工事は紀元前447年に始まり、おもな建物は紀元前438年に完成し、かざりの彫刻は紀元前432年まで続きました。
3D地球儀で見る →ひと目でわかる
- 国
- ギリシャ
- 完成
- 紀元前432年
- 高さ
- 14 m
- 種類
- 古代遺跡
すぐわかる答え
パルテノン神殿はどこにありますか?
ギリシャにあります。
パルテノン神殿はいつ完成しましたか?
紀元前432年に完成しました。
パルテノン神殿の高さはどのくらいですか?
高さは約14 mです。
アクロポリスの丘に建つアテナ女神の神殿で、古代ギリシャ建築の最高傑作です。
アテネの指導者ペリクレスが、ギリシャがせめてきたペルシャ軍を打ち負かしたあとにこの神殿を建てるよう命じ、アテネの力と豊かさを見せつけました。柱や彫刻は、古代ギリシャ建築のいちばんすばらしい例とされています。この様式は、のちに世界じゅうの銀行や博物館、役所の建物のお手本になりました。今は一部がくずれた遺跡ですが、古代ギリシャと、アテネで生まれた民主主義という考え方のシンボルであり続けています。
どうやって建てたの?
建築家イクティノスとカリクラテスが神殿を設計し、彫刻家ペイディアスが芸術作品の作業をまとめました。うでのいい職人たちが、アテネ近くのペンテリコン山から白い大理石のブロックを切り出し、鉄ののみやつるはし、ドリルで形を作りました。神殿のまわりは、かざりの少ないがっしりした「ドーリア式」の柱でかこまれています。両はしに8本ずつ、両側に17本ずつです。建てた人たちは、目の錯覚を利用したかしこい工夫もしました。ゆかは真ん中が少しだけもり上がり、柱はわずかに内側へかたむいて、少しふくらんでいます。そのおかげで、下から見ると建物全体がぴったりまっすぐに見えるのです。
中には何があったの?
奥の部屋には、かつてペイディアスが作った高さ約12メートルの巨大なアテナ像がありました。木のしんに、はだの部分は象牙、服やよろいの部分は金がはられていて、手には勝利の女神ニケの小さな像を持っていました。像はずっと昔になくなってしまったので、その姿はローマ時代の小さなコピーからわかっています。外側には、巨人やケンタウロス、アマゾンたちとの戦いや、アテナをたたえる長い行列の場面がぐるりとほられていました。石はもともと、あざやかな色でぬられていました。
古代のあとの歴史
何百年ものあいだに、パルテノン神殿はキリスト教の教会になり、1400年代にオスマン帝国がアテネを手に入れたあとはモスクになりました。1687年、ベネチアとの戦争のとき、オスマン帝国は中に火薬をしまっていました。ベネチアの大砲の弾がその火薬に火をつけ、爆発で建物の真ん中がふき飛ばされました。1800年代のはじめ、イギリスの大使エルギン卿が、残っていた彫刻の多くをイギリスへ運ばせました。それらはロンドンの大英博物館にあり、ギリシャは長いあいだ返してほしいと求めています。1975年から、専門家たちが神殿をていねいに修理しています。
おもしろ豆知識
- 柱はほんの少し内側にかたむき、少しふくらんでいて、そのおかげでまっすぐに見えます。
- 神殿のゆかは、長さ全体で真ん中が約10センチメートル高くなっています。建物をよりまっすぐに見せるための、わざと作ったカーブです。
- 建てた人たちは、神殿を作るのにおよそ13,400個の石を使いました。
- 中にあった大きなアテナ像は、木のしんに象牙と金がはられていました。
- 白い大理石はかつてあざやかな色でぬられていましたが、時がたつうちに色があせてしまいました。
- 1897年、アメリカのナッシュビルに、パルテノン神殿の実物大のコピーが建てられました。
地球儀では
このモデルは、アテネのアクロポリスの上に立つアテナの神殿を、長い長方形の建物のまわりに柱がならんだ姿で表しています。両側にならぶ柱と、屋根の三角形のはしをさがしてみましょう。
クイズタイム
パルテノン神殿とエッフェル塔、高いのはどっち?
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答え:エッフェル塔(14 m 対 330 m) エッフェル塔 →
地球儀で近くにあるもの
参考資料
更新: 2026-10-13





