カイロのシタデルとムハンマド・アリー・モスク
Citadel of Saladin & Muhammad Ali Mosque

カイロのシタデルは、エジプトのカイロを見下ろす丘の上にある中世のとりでです。イスラムの指導者サラディン(サラーフッディーン)が、十字軍のこうげきから町を守り、新しい政府に安全な本拠地をあたえるために、1176年に建て始め、おもな城壁は1183〜1184年ごろに完成しました。今、そのすがたの目印になっているのは、2本の高く細いミナレットを持つムハンマド・アリー・モスクです。
3D地球儀で見る →ひと目でわかる
- 国
- エジプト
- 完成
- 1176 (mosque 1848)
- 高さ
- 82 m
- 種類
- 要塞
すぐわかる答え
カイロのシタデルとムハンマド・アリー・モスクはどこにありますか?
エジプトにあります。
カイロのシタデルとムハンマド・アリー・モスクの高さはどのくらいですか?
高さは約82 mです。
サラディンが築いた丘の上の城塞で、2本の鉛筆形ミナレットを持つムハンマド・アリー・モスクがカイロを見下ろします。
700年近くのあいだ、シタデルはエジプトの政府の本拠地でしたが、1874年にヘディーヴ(副王)イスマーイールがアブディーン宮殿へうつりました。せめにくいムカッタムの丘のふもとの岬に立っています。ユネスコの世界遺産「カイロ歴史地区」の一部で、1983年に一般に公開されました。
サラディンとスルタンたち
サラディンは、ダマスカスやアレッポのようなシリアの町で知っていた、かべにかこまれたとりでをお手本にしました。工事のまとめ役には、信頼する相談役バハー・アッディーン・カラクーシュを選びました。石のほとんどは近くの丘から切り出した石灰岩でしたが、カラクーシュはギザやアブシールのいくつかの小さなピラミッドからも石を持ってきて、キリスト教徒の捕虜たちがはたらきました。のちのマムルーク朝の支配者たち、とくに14世紀のナースィル・ムハンマドがとりでを広げ、宮殿や大きなモスクをつけ加えました。
2つのかこい
シタデルはおもに2つの部分に分かれています。北のかこいは兵士のためのもので、今は国立軍事博物館があり、南のかこいはスルタンの住まいで、今はムハンマド・アリー・モスクがあります。城壁の下には、馬の訓練やパレードに使われた大きな広場があり、その形は今も通りのならび方に残っています。サラディンの時代の門で残っているのは「バーブ・アル・ムダッラジ」ひとつだけです。
ムハンマド・アリーのモスク
1517年にオスマン帝国がエジプトを手に入れたあと、この場所はほうっておかれ、軍の守備隊が使っていました。1805年から1848年までエジプトを治めたムハンマド・アリー・パシャは、古い建物の多くを取りこわし、新しい宮殿と、1828年に建て始めて1857年に完成した大きなモスクを建てました。その大きなドームとオスマン様式のミナレットで、カイロでとくに有名な名所のひとつになっています。
おもしろ豆知識
- シタデルの上に立つムハンマド・アリー・モスクは、1848年に完成しました。
- モスクのミナレットは、えんぴつのように高く細いです。
- シタデルは約700年間、政府の本拠地であり続けました。
- 石の一部は、小さなピラミッドから運ばれました。
- サラディンは、カイロとフスタートのまわりに長さ約20キロメートルのかべを作る計画を立てました。
地球儀では
このモデルは、大きなドームのモスクと2本の細いミナレットがある丘の上のとりでを表しています。えんぴつのような形の塔をさがしてみましょう。
クイズタイム
カイロのシタデルとムハンマド・アリー・モスクとアズハル・モスク、高いのはどっち?
答えを見る
答え:カイロのシタデルとムハンマド・アリー・モスク(82 m 対 60 m) アズハル・モスク →
地球儀で近くにあるもの
参考資料
更新: 2026-10-14




